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Yukocka物語


1994 確かにスーダンにあったもの。

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           飢餓。少女。ハゲワシ。カメラマン。(Kevin Carter撮影)
                  そして、今は飢餓だけが生き残っている。

この写真については論じ尽くされ、皆さんも何を今更、とお思いでしょうが久しぶりに見てまた大泣きしてしまいました。まずはこの惨憺たるスーダンに生まれた少女の運命について。次に何も知らず生きる為に少女を狙っているはげわし。そして何よりもこの惨状を世界に知らしめたケビンのピュリツァー賞受賞後の運命について。

私は彼が「カメラマンとしては一流。人間としては最低」だとは思いません。彼がこの写真を撮ったからこそ、全世界の人がスーダンの惨状について知ることができたのだと思います。幼い頃読んだ民話の中で「お腹を空かせた人に食べ物をやるのは簡単だ、しかし食べ物の取り方を教えることが本当の友情だ」というような教訓の入ったお話を読んだ記憶があります。彼が500メートルの距離にあった国連食料支援センターにこの少女を連れていくのは容易いことだったでしょう。でも、彼はこの写真を通してこの少女と同じ運命のスーダンの子供達を何千人も救ったのだと思います。

一番悲しいのは彼のお葬式で日本の子供が書いた「彼のお陰で飢餓とかスーダンについて知ることができ、感謝している」という作文が読まれたそうですが、それを聞いた彼の父親が「これを読んでいれは息子は自殺しなかったかもしれない」と言ったことです。最愛の息子が自ら先立っていってしまったお父さんの気持ちを考えると本当に悲しいです。

この場面に出会ったとき、すぐさま写真を撮り全世界にこの現状を伝えたいと思ったケビンはとても人間らしい心を持っていたと逆に思うのです。ただ、少女を抱き上げて食事を与えるのは表面だけを助けているに過ぎないのかもしれません。勿論、目前の人命を救助することはとても大事ですが。この写真は本当に色々なことを考えさせられます。人間は「生きる為に寝る」んだな、とか・・・。この少女も寝る体勢になったら楽じゃないかと最初は思ったのですが、寝たら最後自分の力では起き上がれなくなり、それこそはげわしやアリに食べられてしまう、だからどうしても立ち上がろうと膝を折りまげているのではないか、腕や首にはめている飾りは生まれたときにお母さんがつけてくれたものだろう・・・・、国連センターに行けば助けてもらえる、その一心でここまで這ってきたんだ・・・などなど思いが駆け巡りこの写真を見るたびにぽろぽろと涙をこぼしてしまうのです。
(でも、人前では生まれた時以外泣いたことのないjinjirorin)

メディア論を語るとき、ケビンの例が持ち出されますが論じるよりも前に彼が死を選んでしまったことが悲しい。彼は人一倍心の綺麗な人だったのではないかとこの写真を見て思います。

皆さんはどのように感じますか?

この話を書いていたらアボジとオモニに無性に会いたくなりました(><)。
아빠,언마,보고 싶다!

ケビン・カーターに捧ぐ。
by jinjirorin | 2006-04-08 07:34

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アナだったり、ヒショだったり、ガクセイだったり。     今日も、どこかで。
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